『ガラスの動物園』

9/28 新国立劇場中劇場で『ガラスの動物園』 作:テネシー・ウィリアムズ 演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ

この戯曲は「追憶の劇」である。
舞台は不況時代のセントルイスの裏町。メインキャラクターはアマンダ、彼女の娘のローラ、息子のトムの 3 人。生活に疲れながらも昔の夢を追い、儚い幸せを夢見る母親アマンダは未だに自分のことを箱入りの南部婦人だと思っている。靴工場で働いて家族を養うトムの夢は詩人になることで、隙を見つけては映画に通う。彼の姉ローラは病的なほどに自意識過剰で、アパートから一歩も出ずに自身のコレクションである小さく繊細なガラス細工の動物たちを来る日も来る日も磨き続ける......。この家にはそれぞれに別の幸せな人生を夢見る 3 人の孤独な者たちが一緒に閉じ込められている。しかしそんな日々も、彼らの夢が叶うかに思えたある晩までのことだった。トムが夕食に招待した友人のジム・オコナーを、アマンダは「婿候補」と勘違いし、彼がローラにプロポーズする姿まで夢想してしまう。当然のごとく、彼女の計画は新たな、あるいは最後の幻想となる......。

パリの国立オデオン劇場制作で2020年3月に上演されたテネシー・ウィリアムズの代表作『ガラスの動物園』の日本初演。2020年の上演はコロナ禍の中、本国フランスでも公演5日目にして閉幕し来日も叶わず、21年秋に再度予定していた延期公演も感染症の影響による入国制限などによって再び中止。今年ようやく実現した来日公演の初日を観てきた。フランス語での上演で、舞台上方の左側に日本語、右側に英語の字幕が映される。イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出作品はNTLiveの上映で観ていたけれど(「橋からの眺め」「ヘッダ・ガブレール」「イヴの総て」)劇場で観るのは初めてだ。物語は一家が暮らす家の中だけで進められる。壁も床も赤褐色で岩肌に掘られた洞窟のように感じる室内。この美術からすでに何とも言えない閉塞感が漂ってくる。玄関に通じる短い階段が上手寄りに設けられてはいるけれど縦の動きは少なく、舞台を横長に使うのは以前観た「ヘッダ・ガブレール」と少し似ていると思った。「イヴの総て」のように映像を頻繁に使うことはなく、戯曲に忠実な会話劇という印象だ。トムが同性愛者なのだろうということは言葉で語られなくても伝わってくるけれど、今作ではトムとローラの間に近親相姦的な雰囲気が感じられる部分があり、この演出はちょっとドキッとした。俳優陣はもちろんすばらしかったけれども、イザベル・ユペールのアマンダは圧巻だった。華やかだった過去の思い出にしがみつく愚かさも、貧しい暮らしの現実や子供たちの行く末について目を逸らすことなく向き合ってきた強靭さも、時にはユーモアも交えながらアマンダの一喜一憂する心情をさらけ出す。その存在感にくぎ付けだった。