『ラビット・ホール』

2/23  KAAT神奈川芸術劇場大スタジオで『ラビット・ホール』 作:デヴィッド・リンゼイ=アベアー 上演台本:篠崎絵里子 演出:小山ゆう

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【公式サイト掲載のあらすじ】

ニューヨーク郊外の閑静な住宅街に暮らすベッカとハウイー夫妻。

彼らは8カ月前、4歳だった一人息子のダニーを交通事故で失いました。ダニーとの思い出を大切にしながら前に進もうとする夫のハウイー。それに対し、妻のベッカは家の中にあるなき息子の面影に心乱されます。そのような時にベッカは、妹イジーから突然の妊娠報告を受け戸惑い、母のナットからは悲しみ方を窘められ、次第に周囲に強く当たっていきます。お互いに感じている痛みは同じはずなのに、夫婦・家族の関係は少しずつ綻び始めていました。

ある日、夫妻の家にダニーを車で轢いたジェイソンから手紙が届きます。会いたいというジェイソンの行動に動揺を隠せないハウイーですが、ベッカは彼に会うことを決意します。

 

2007年のピューリッツァー賞戯曲部門を受賞したというデヴィッド・リンゼイ=アベアーの戯曲は、もちろん篠崎絵里子の日本語訳がすばらしいこともあると思うのだけど、非常に心に響く台詞の数々に惹きつけられた。幼い子供を亡くすという同じ悲劇の中にあって、夫婦はそれぞれが違う悲しみ方をする。子供を思い出させる物たち(洋服やおもちゃ、写真や息子が書いた絵)を目の前から消してしまいたいベッカ(小島聖)、保存してある息子の動画を毎日眺めて、思い出をいつまでも手元に残しておきたいハウイー(田代万里生)。お互いに相手の気持ちが理解できない2人は激しくぶつかり合う。そんな中でベッカがハウイーに告げる「わたしはあなたが気に入るような悲しみ方をしていないだけ」「わたしは正しく悲しんでいないのかもしれないけど、あなたと同じぐらい悲しんでいる」という言葉に胸を突かれた。相手が何を感じているかを想像して理解しようと努力すること。たとえ自分とは違っていても相手の想いを尊重して寄り添うこと。これは加害者であるジェイソンに対しても言えることで、彼はお詫びの手紙に「haha」、日本語なら「(笑)」と書いてしまうような少年だけど、後悔も申し訳ないという気持ちもきちんと持っていて、彼には彼の悲しみがあり、その伝え方がこちらの思うところと違うだけなのだ。他者に共感しようとすることは簡単ではない。けれども自分だけの悲しみを2人の悲しみとして共有することで、夫婦は辛い現実に向き合い共に乗り越えようとし始める。そしてベッカから「この悲しみはいつか消えるの?」と問われた母親(木野花)の(この木野花がまた本当に素晴らしかったのだけど)「消えない。消えないけれど少しずつ慣れていく。悲しみはポケットの中の石ころみたいで、あることを忘れている時もあるけど、ふと思い出して触って、やっぱりそこにあることに安心する」という言葉に思わずはらはらと泣いた。消えてなくなることはない悲しみを抱え、それでも支え合いながら生きていく人間の姿を描いて、非常に辛い内容ではあるけれど最後にはささやかな救いが感じられる、とても良い舞台だった。