『死刑にいたる病』

5/10 UPLINK吉祥寺で『死刑にいたる病』

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映画の冒頭、タイトルロールが出る前の15分ほどの間に、安部サダヲ演じる連続殺人犯が被害者の少年少女たちを目を背けたくなるような残虐さで拷問する様が描かれて、いきなりこれを見せつけるのかと驚いた。最初にこの榛村大和という男の犯した犯罪をあからさまに示すことで、榛村(安部サダヲ)と雅也(岡田健史)の面会室での会話が否が応でも緊張感を増し、この会話のシーンこそが見せ場となる映画だ。とにかく阿部サダヲの奥深い闇を感じさせる真っ黒な瞳に背中がゾクゾクする。なぜ人を殺したのかと問われても「自分にとって必要だった」としか言わない榛村。人を殺すことを心から楽しんでいる人間であることが恐ろしいのだ。普段は人当たりのいい街のパン屋を演じ、褒め殺しで相手の承認欲求を満たすことで人心を操るこの殺人鬼に、いつの間にか雅也も周りの人間も惹きつけられていく様がスリリングで、真犯人は誰かという推理劇の要素もあり、全く飽きることなく物語を追った。これまでに観た白石和彌監督作の中では私は今作が一番面白かった。

『親愛なる同志たちへ』『パリ13区』

5/4 新宿武蔵野館で『親愛なる同志たちへ』 ヒューマントラストシネマ有楽町で『パリ13区』

『親愛なる同志たちへ』 1962年にロシア南西部の街ノボチェルカッスクで起きた労働者の大規模ストライキ。物価の上昇と食糧不足、賃金カットに対する不満が高まった結果だったが、党幹部たちは労働者の国で労働者のストライキなどあり得ないと群衆を暴力的に鎮圧。多数の死者を出しながらソ連の崩壊まで30年間隠蔽されていたという事件を映画化したものだ。党の市委員会のメンバーで党員の特権を利用して贅沢品を手に入れるなどしていたリューダは、ストライキに娘が参加していたかもしれないと知り、娘を探して銃撃によるパニックが起きた混乱の中を駆け回る。リューダの党への忠誠心が娘の身を案じるうちにしだいに揺らいでいく様を、ソ連に生まれ育った監督が共産主義の理想と現実を辛辣に見つめる視線、真実を求めようとする強い信念と怒りとともに描き、昨今の不穏な情勢も否応なしに浮かんできて深々と胸に迫る映画だった。

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『パリ13区』 タイトルにあるパリ13区は高層住宅が連なる再開発地区で、アジア系移民も多く暮らしている独創的で活気に満ちた現代のパリを象徴するエリアだと公式サイトには紹介されている。登場人物たちも台湾系、アフリカ系など多様性に満ちていて、それぞれがその場限りではない愛を求めて悩み葛藤する姿を描いている。出会ってすぐに身体でつながることは簡単でも、相手に心を許して自分をさらけ出し、また自分にとって都合のいいようにではなくありのままの相手を受け入れることもなかなか難しい。赤裸々なシーンも多いけれども、本人が自覚していなくても本当に気持ちで繋がることができる相手を求める切実な気持ちが心の底にはあり、そんな出会いは決して当たり前ではなくとても特別なことなのだ。女性3人と男性1人の関係がどう展開するのか興味深く見守り、傷つきながらも最後にはそれぞれが自分を偽る必要のない相手と結ばれて、いろいろと辛口な表現がありつつもロマンティックな結末だと思った。

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『勝手にしやがれ 4Kリストア版』『カモン カモン』

5/3 ヒューマントラストシネマ有楽町で『勝手にしやがれ』 TOHOシネマズ日本橋で『カモン カモン』

勝手にしやがれ』 ジャン=リュック・ゴダール監督の1960年公開映画。スクリーンで観るのは初めてだったけれども、ヌーベルバーグの記念碑的作品と言われるだけあって当時としては本当に画期的な映画だったのではないかとあらためて感じた。全編通してジャン=ポール・ベルモンドの魅力に圧倒される。決していわゆる誰が見ても男前というタイプではないけれど、惹きつけられずにはいられない愛嬌とユーモアに溢れていて「ルパン三世」のモデルになった一人というのも納得。ベルモンド演じるミシェルとジーン・セバーグ演じるパトリシアの会話も本当に洒落ていて、ケチな詐欺師のミシェルのパトリシアには騙されても裏切られても本望という少年のような純愛がベルモンドの繊細な演技によって観客に届けられる。ほかのキャストでのリメイクなんてあり得ないという映画があるとしたらこれはまさにそんな一本だと思った。

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『カモン カモン』 母親の介護を通して意見が対立し疎遠になっていた妹から突然甥のジェシーの面倒を見るように頼まれたジョニー。子供と一緒に暮らすという現実によって大人たちの意識が変わっていく様が描かれる。ジョニーがラジオの仕事でインタビューしている子供たちの言葉が映画の中で挿入されるのだけど、そこで繰り返し語られるのは「他者の意見にも耳を傾けよう」「お互いの違いを認め合おう」ということで、これはそのままジョニーと妹ヴィヴの関係、ジョニーとジェシーの関係にも当てはめて受け止められる。子供を預かったことでジョニーは初めていつも完璧であることを求められる「母親」という立場が負わされている責任を実感し、大人によって鬱陶しいものとされがちな子供の言葉や行動がいかに掛け替えのないものかを知る。ジェシーの存在によってジョニーが家族との繋がりを結び直し、自身の人生を見つめ直す姿に心が暖かくなる映画だった。ジョニーを演じたホアキン・フェニックスの受けに徹しつつ繊細な感情が伝わってくる演技がとてもよかった。

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赤堀雅秋プロデュース『ケダモノ』

4/27 本多劇場で『ケダモノ』 作・演出:赤堀雅秋

あらすじ【公式サイトより抜粋】

神奈川県のはずれ。駅前の繁華街以外は寂れ、奥には山ばかりが広がる田舎町。真夏。リサイクルショップを経営する手島(大森南朋)は、アヤしげな自称・映画プロデューサーのマルセル小林(田中哲司)とつるむ以外、特に楽しいこともなく、日々しけた店を切り盛りしている。従業員は態度のでかい出口(荒川良々)と、やる気ばかりで空回りの木村(清水優)の二人。彼らの楽しみはキャバクラでマイカ門脇麦)や美由紀(新井都)ら女の子をからかうことくらいしかない。ある日、郵便局員の節子(あめくみちこ)から「父が死んだので不用品を引き取って欲しい」という依頼が。手島たちは節子の家と蔵を物色するが、木村が蔵から意外な「もの」を見つける。手島とマルセルの抱えた「事情」と木村がみつけた「もの」、そしてマイカの切実な望み。退屈な日常はふとしたはずみで軋み、歪み、彼らは暴走し始めた。

 

赤堀雅秋大森南朋田中哲司による演劇ユニットの新作公演。私は前作2019年上演の「神の子」に続いてこのユニット公演を観るのは2作目だ。最初に結末から言ってしまうと門脇麦演じるマイカ以外の登場人物は全員死ぬ。物語の途中で美由紀は飛び降り自殺し、赤堀雅秋が街に出没する鹿を退治する猟師を演じているのだけど、最後のシーンで出口は節子に刺し殺され、節子と手島と木村は猟師に撃たれ、マルセルは手島に撃たれ、猟師は手島に撃ち殺される。なんというか劇画のような血まみれの修羅場が繰り広げられて物語は終わるのだけど、そこに至るまでの個々の置かれた状況や心理を執拗に追って、枠からはみ出した場所でそうなってしまった人間の姿に迫っていく会話劇だ。赤堀演出作では去年の「白昼夢」に続いて出演の荒川良々が今回も良い。劇中でおまえほんとにクソだなと言われるだけのことはある最低感がすごい、のだけど小学校の時に特別支援学級にいたという言及から何らかの発達障害を抱えた人物であることが分かり、彼の言動に対する見方にバイアスが掛かる。あめくみちこ演じる独身58歳のおばちゃんの鬱屈した性欲が引き起こす哀れで惨めな夢は、決して笑うことができない切なさだ。門脇麦は最初の登場シーンがショートパンツ姿で足を出しているのだけど、けっこうしっかりした太ももとふくらはぎで、モデルのような細い足よりも現実感というか存在感があって、マイカというもうすぐ30歳になるキャバ嬢のリアルが伝わってくるようないい足だ。田中哲司演じるマルセルは難しい役。もっとやくざな不良中年っぽくできそうなところを、穏やかさの裏に見える得体の知れなさとうさん臭さを醸し出して不可思議な人物として立ち上げたのは田中哲司の手腕だと思う。大森南朋はやさぐれた風だけど根は軽薄なお調子者の手島を、前回公演と同じくどうしようもないけど可愛げのある男として演じていて、この可愛さは作家が本人の持ち味と感じて役に反映させているのかなと思った。そして役者としての赤堀雅秋には、私が岩松了が役者をやる時に感じるのと同様の面白さがあると思っていて、上手いとか下手とかじゃなくて舞台での在り方がとても好きだ。今作の赤堀雅秋も社会からはじき出されて人生うまくいかない男の滑稽さと悲哀が滲み出てくる感じがとてもよかった。

ゴジゲン『かえりにち』

4/26 ザ・スズナリで、ゴジゲン『かえりにち』 作・演出:松居大悟

台風が来そうで来なかった避難所を舞台に、なかなか帰りたがらない男たちの一夜を描く物語。松居大悟が「角のない丸くて優しい話にしたい」と語っている記事を読んだけれども、何か特別なことが起きるわけではない、その予感すら感じさせない、もっとずっとずっと手前の、人と人のほんとうに何でもないふとした瞬間を切り取って、そんな積み重ねの90分。観劇後にはなんだかとてもあたたかい気持ちになっていた。人間捨てたもんじゃないというか、なんだろう、人間っていいなあと素直に思えてしまうというか。客演でゴジゲン初参加の結城洋平が、ごくごく自然にその場にいる感じも、どこでブレスするんだと心配になるようなしゃべりも一気に聞かせてとても良い。それぞれの役には今まで以上にあて書きの強みが表れているように感じて、ああまさにゴジゲンというシーンには今回も大いに笑わせてもらった。メンバー各自の活躍の場が増えて忙しくなってきているゴジゲンだけど、年1回の劇団公演はこれからも楽しみにしたい。

ヒトハダ『僕は歌う、青空とコーラと君のために』

4/21 浅草九劇で『僕は歌う、青空とコーラと君のために』 作・演出:鄭義信

ヒトハダの旗揚げ公演、初日を観てきた。戦後のアメリカ軍占領下で、男性コーラスグループとして基地周りをしているメンバーたちの物語が、歌や踊りと共に描かれる。音楽劇といってもいいほど歌の比重が高く、浅野雅博がとても歌が上手だったり、尾上寛之はすごく動けて踊れる人であることが分かったり、という驚きがあった。コーラスメンバーのうち二人は韓国人、一人は日系アメリカ人、一人はトランスジェンダーで、メンバーの面倒を見ているクラブのママも韓国人という設定だ。鄭脚本らしく、韓国と日本、アメリカと日本というそれぞれの国の間で、戦争の悲惨に翻弄された人間の哀しみが切々と語られるのだけど、自身の辛い経験を話す俳優陣がもうなんか号泣していて、私は舞台上で俳優に大泣きされるのが苦手なので好みの問題になるけれど、あそこまで泣かれるとちょっとこちらは引くレベルで、いやまいったなあと思ってしまった。あと「Danny Boy」とか「Over the Rainbow」とか歌の使い方もけっこうベタという気はした。もう二度と戦争の時代はごめんだという想いは確かな熱量を持って伝わってくるし、音楽には国境がないというけれど、歌や踊りを通して、たとえ生まれた国が違っても人は心を許し合い理解し合えるということがまっすぐに描かれた作品だと思う。そして劇団としての旗揚げ公演ということで、あて書きの部分もあるだろうけれど、俳優陣はみんなとても生き生きと役を演じていて、このメンバーで劇をするのが嬉しくて仕方ないという感じがすごく伝わってきた。櫻井章喜は女性の心を持った男性をとても楽しそうに演じていて、シリアスになり過ぎそうなところでツッコミを入れる間合いが上手だなと思った。

『二トラム/NITRAM』『ベルファスト』『英雄の証明』

4/6  ヒューマントラストシネマ有楽町で『二トラム/NITRAM』

4/19  TOHOシネマズシャンテで『ベルファスト

4/20  シネスイッチ銀座で『英雄の証明』

『二トラム/NITRAM』 1996年にオーストラリアで実際に起きた銃乱射事件を元にした作品。NITRAMとは事件を起こした犯人の名前MARTINを逆から読んだもので、マーティンは学校の同級生たちから二トラムと呼ばれて蔑まれいじめを受けていたらしい。この映画ではマーティンという名前は一度も出てこないのだけど、これは事件から題材は借りたけれども犯人マーティンの実像に迫るような内容ではないということの表れだと思う。彼がなぜ銃乱射事件を起こしたのかというはっきりした理由はわからない。けれどもその場の空気や他者の気持ちを慮ることができないために孤立してしまう青年の哀しみは痛いほど伝わってくる。事件の要因は個人の問題ではなく彼を取り巻く社会にあるのではないかという問いが突き付けられる映画だ。周囲になじめずうまくいかない毎日に苛立ちながらも自分の存在を認めてほしいと強く願っている青年の心情をケイレブ・ランドリー・ジョーンズが丁寧に演じている。ありのままの自分を愛してくれた二人(年上の恋人と父親)の死によって更に孤独を深めた彼は事件に向かって暴走していくのだけど、後半の淡々とした描写は少々退屈。息子に対して一度も笑顔を見せない母親役のジュディ・デイヴィスが忘れがたい強烈な印象を残す。

ベルファスト』 監督・脚本のケネス・ブラナーが自身の幼少期を投影して描いた半自伝的作品。生まれ育ったベルファストという街に対する愛、家族に対する愛に満ち溢れた映画で、ケネス・ブラナーってこんな映画も創るのだなとちょっと驚いた。1969年の北アイルランド紛争を背景に、プロテスタントカトリックの激しい対立によって、街中がひとつの大家族のようだったベルファストに分断が拡がっていき、9歳の少年バディの家族は故郷を離れて移住するかここに残るかの選択を迫られる。バディのじいちゃんとばあちゃん(キアラン・ハインズジュディ・デンチ、共にすばらしかった)は長い年月を深く愛し合って過ごしてきたラブラブ夫婦だし、父さんと母さんも移住について意見がぶつかり喧嘩する事はあっても、これまたいつまでも若い恋人同士のような相思相愛の素敵な夫婦だ。こんな家族に囲まれて惜しみなく愛情を注がれてしあわせに暮らしていたバディは、結局一家でベルファストを離れることになるのだけれど、最後のクレジットでケネス・ブラナーは、故郷に残った人にも離れた人にも敬意を捧げ、また紛争で命を落とした人々に悼みの言葉を贈っている。ささやかな暮らしを踏みにじる紛争の現実への視線がもう少し作中でも入った方が良かったのではないかとは思った。

『英雄の証明』 まさにSNS時代の恐さをまざまざと突き付けてくるイラン映画。借金を返せなかった罪で収監されている服役囚のラヒムは、婚約者が偶然拾った17枚の金貨を落とし主に返そうとしたことがメディアに取り上げられ、“正直者の囚人”という美談の英雄に祭り上げられていく。ラヒムの借金返済のために全国から寄付金が集まり、出所後の就職先も紹介され、明るい未来への希望に胸をはずませるラヒム。ところがこれは自作自演の狂言なのではないかという噂がSNSで流れ始めたとたん、ラヒムを取り巻く状況は一変し、名誉を挽回しようと焦ったラヒムはひとつの小さな嘘をついてしまう…。ひとを簡単に英雄として持ち上げ、また簡単に詐欺師として貶める。なんの確証もないままにただの噂話がさも真実のように拡散される。ひたすら周りに利用され振り回されるラヒムの姿が非常に悲しい。そしてラヒムを巡る騒動も人々は月日と共に簡単に忘れてしまうという現実を知りながらも、そんなものだで済ませたくない、人の気持ちを弄び平気で傷つける世界に物申すという強い意志が伝わってくる映画だった。