『もはやしずか』

4/12  シアタートラムで『もはやしずか』 作・演出:加藤拓也

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康二と麻衣は長い期間の不妊に悩んでいる。やがて治療を経て子供を授かるが、出生前診断によって、生まれてくる子供が障がいを持っている可能性を示される。

康二は過去のとある経験から出産に反対するが、その事を知らない麻衣はその反対を押し切り出産を決意し…。

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加藤拓也の書く言葉はとても強い。強すぎると言ってもいいほど容赦がない。決して言葉数が多いわけではないし、気持ちを説明するような台詞もない、けれども会話の底に流れる感情の波に否応なしに引き込まれて、寄せて返すさざ波が物語が進むにつれて大きなうねりになって押し寄せてくる。緊張感の中で息を詰めて舞台をみつめていた。序盤で幼い時の康二が血まみれで出てきた時に、自閉症の弟を康二が殺したのだとそう受け取ってそのあとの展開を観ていたので(弟のために気苦労と喧嘩が絶えない両親のため、両親の関心を弟よりも自分に向けさせるためだと思った)、弟の死は道路に飛び出したところを車に轢かれた事故であり、その時に手を繋いでいなかった自分を康二はずっと責めており、弟の死に対する深い哀しみと後悔が康二という人間を形作ってきたことが終盤に明かされて、私はなんと斜に構えて捻くれた見方をしていたのかと思った。弟の死だけではなく、麻衣が自分に隠れて第三者精子の提供を依頼していたことを偶然知った康二は、麻衣の妊娠を素直に喜べず、麻衣に問い質すこともできず、このあたりの葛藤を橋本淳がとても巧みに表現している。黒木華演じる麻衣は子供をもつことに異常なほど執着した女性で、提供された精子は結局捨てたので子供の父親は間違いなく康二なのだけど、出生前診断の結果に動揺しつつも生むという自分の決断を通して離婚を選択する。そのくせ出産後に(生まれた子供に障がいはなかった)やはり子供には父親が必要とか言って康二に復縁を迫るのは随分と都合のいい話だと思う。この作品では、他者の感情に対してまったく無神経であり、自分が良かれと思ってしたこと言ったことでも相手にとっては非常に不快であるかもしれないという想像が働かない人たちの発言を通して、コミュニケーションの不在、共存することの難しさを描き、それでも家族であるとはどういうことなのかを観客に問うものになっていたと思う。生まれないことを望んだ自分は父親になれないと子供の写真を見ることを拒否する康二に、麻衣だけでなく康二の両親も子供と3人でやり直すことを勧めてきて、泣きながら「うん」と康二が言ったところで幕になれば、関係の修復が為されるかもしれない兆しをみせての終わりとなっただろうけれど、ここで舞台の両袖から真っ赤は血が壁と窓を伝ってどっと流れ落ちた時、康二の苦しみはこれからもずっと続いていくのであり、血縁という縛りから逃れられない業を見せつけられた気がした。