『シラノ・ド・ベルジュラック』

2/16  東京芸術劇場プレイハウスで『シラノ・ド・ベルジュラック』 作:エドモン・ロスタン 脚色:マーティン・クリンプ 翻訳・演出:谷賢一

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マーティン・クリンプ脚色、ジェームズ・マカヴォイがシラノを演じた「シラノ・ド・ベルジュラック」は、シラノの付け鼻をやめ台詞をラップで演じる斬新な舞台で、一昨年NTLiveで観てすごく良かったのだけど、この舞台の初日本語版が谷賢一の翻訳・演出で上演されるということで、どんな風に演じられるのか楽しみにしていた。舞台上に階段が組まれた美術と、劇中で俳優たちが向き合って会話をせずにそれぞれが正面を見て台詞を言う演出は、オリジナル版を踏襲した形になっていたけれど、芸劇プレイハウスの高さのある空間を十分に活かして俳優を高いところと低いところに縦に配置する場面も多用している。古川雄大は秘めた恋心に苦悩するシラノを繊細に演じていて、口跡の良さと台詞を音楽に載せていく巧さはさすがにミュージカル畑の人だなと思った。シラノがロクサーヌへの想いを切々と語る場面は非常にエモーショナルで見せ場のひとつだ。またシラノは自分の創り出す詩の言葉に対して非常に高いプライドを持っており、政治や権力によって言葉が歪められることに断固抵抗し、言葉を語る自由は何よりも大切だと言う。この主張はオリジナル版よりも強く印象に残る演出で、創造に携わる者たちへのエールであり、言論が統制されるような社会への警鐘だ。そして最近の舞台は映像の使用が昔に比べて格段に増えていると思うのだけど、この舞台でも階段の上部がスクリーンになっていて映像が流される。俳優の顔をアップで映すところはピントが合っていなかったりであまり効果的ではないけれど、劇中で確か2回、ラップの台詞を文字にして映したのは良いと思った。というのも幕開きからラップ部分の台詞が耳に馴染まなくて全く聞き取れず、しばらく何を言っているのか分からないという状態だったからだ。言葉遊びのような部分は同義語を多く持つ日本語の特性が翻訳に活かされていて面白かったのだけど、日本語の台詞をラップで演じる難しさというか伝わりにくさも感じることになった舞台だった。

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