『夜への長い旅路』

6/9 シアターコクーンで『夜への長い旅路』 作:ユージン・オニール、演出:フィリップ・ブリーン

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劇作家のユージン・オニールノーベル文学賞受賞者で“アメリカ近代劇の父”と称されていて、この作品で4度目のピュリッツァー賞を獲得したのだという。私はこの作家の作品は初めてで、演出のフィリップ・ブリーンが2019年に観た三浦春馬主演の「罪と罰」の演出家だということ以外、物語の概要もあらすじも頭に入れないようにして白紙の状態で観たのだけど、観劇後に読んだチラシにも公式ホームページにも大竹しのぶ演じる母親メアリーは「モルヒネ中毒」であると書いてあって、この情報を最初から知って観るのと知らないで観るのとでは緊張感がまったく違ったのではないかと思った。

もちろん私が観たことがなかっただけでとても有名な作家の作品であり、また日本でもこれまで何度か上演されている作品ということで、母親のモルヒネ中毒というのは作品を知っている人には自明のことで特に隠しておく情報ではないということだろう。知らずに観た私は、家族たちの会話からメアリーがなんらかの依存症らしいと感じたものの、メアリー本人は家族の遠回しな探りをいれてくるような物言いに腹を立てていて、療養所から戻ってきたという台詞から彼女は精神の病だったのだろうか、とか思ったり、一幕目はメアリーについての事実がはっきり言葉にされないことが非常にスリリングというか、一言一言にものすごく集中して物語を追うことになった。

このあきらかに不安定なメアリーを中心に、夫と妻、父と息子、母と息子、兄と弟の、壮絶な会話劇が繰り広げられる。二幕目早々にメアリーがモルヒネ中毒であること、療養所に入ってせっかくやめていた薬を最近また始めたことが明らかにされる。そこから家族たちがお互いに投げつけ合う言葉は、それを言ってしまったら取り返しがつかないというような罵詈雑言の応酬で、憎しみや嫉妬の赤裸々な感情が露呈されていく。それでも根底には家族としての愛情があるだけに、どうしてこうなってしまったのか、相手を責めながらもそれぞれが原因は自分にあるのだという後悔も抱えている辛さ。この上演では舞台上に白い大きな布がワイヤーで吊られていて、この布の塊が物語の進行につれて上下したりねじられたりして形を変えていく。その際に低い機械音のような重たく響く音が流れて不穏さを増す。最後に白い布はメアリーが結婚式の時に着たウエディングドレスに見立てられて、モルヒネによる幻覚を起こしたメアリーが少女時代の幸せを語り続け、それをただ見つめる夫と息子たちの姿で幕になる。家族という名の枠組みの中で、孤独や哀しみから逃れることができない人間の業が浮かび上がり、非常に心に刺さる3時間半だった。

私には映像で見るよりも舞台の方が格段良いと思う俳優が何人かいるのだけど、池田成志はまさにその一人だ。この舞台の成志さんも、若い頃の苦労と挫折を引きずり金にうるさい横暴な吝嗇家の父親ジェームズを見事に演じていてとても良かった。大竹しのぶのメアリーは言わずもがなの素晴らしさ。これが初舞台だという杉野遥亮が長い独白の場面など精一杯という部分もありながら健闘していて好感をもった。 

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