『偶然と想像』『ドライブ・マイ・カー』

12/29 Bunkamura ル・シネマで『偶然と創造』 TOHOシネマズシャンテで『ドライブ・マイ・カー』

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濱口竜介監督の2作品を観てきた。カンヌとベルリンで受賞というニュースは見たけれど映画の内容についてはどちらも白紙で、インタビューとか映画評とかも読まないで観たのだけど、それでもやはり前提の構えとしてこれは受賞作なのだという気持ちはあったかもしれない。

『偶然と想像』 3本の短編オムニバス。3作ともにタイトルがそのまま共通するテーマになっているのだけど、私は3本目の「もう一度」が一番好きだ。女子高時代の恋人にもう一度会いたいと20年ぶりでクラス会に参加した夏子(占部房子)。彼女は現れず意気消沈したその翌日、駅のエスカレーターで偶然その彼女とすれ違う。顔を見返しあわてて駆け寄って久しぶりの再会を喜び合うのだけど、話をしていくうちに実は人違いだったことに気付く。相手のあや(河井青葉)は恋人だった女性ではなく、夏子のことを覚えていない同級生だろうと思ったあやは話を合わせていただけで、よくよく聞けば通っていた高校も違っていた。でここで終わらないのがいいのだけど、二人はお互いに知り合いの役を演じることにして、夏子は別れた彼女に対してずっと伝えたかった気持ちをあやに語り、あやは高校時代に憧れていた生徒への思いを夏子に語る。そして今の生活に対する夫や子供にも言えない悩みも。偶然出会った初対面の女性たちが言葉を重ねる中で心を通わせ、歩んできた道は全く違う二人に共感や理解が生まれ、それぞれの人生にエールを送りあう、その姿がとても清々しく心に残る作品だった。

『ドライブ・マイ・カー』 村上春樹の原作も読んでいないので小説もそうなのか分からないのだけど、すごく演劇寄りというか演劇の世界が中心に置かれた映画だったので驚いた。主人公の男は演出家であり俳優で、冒頭に「ゴドーを待ちながら」を演じているシーンがある。そして車での移動中にカセットテープで聞いているのはチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の台詞を彼の妻が読んで録音したもので、この台詞が映画の中で男の心情を代弁するように使われている。チェーホフの言葉が男の哀しみや怒りを語るのだ。映画の中盤以降は男が演出する「ワーニャ伯父さん」のオーディションから稽古風景を追っていき、その日々の中で妻を亡くした男と男の運転手となった女性の交錯が描かれていく。男がいう「ぼくは正しく傷つくべきだった」という言葉は印象に残るけれど、夫以外の男性たちと体の関係を続けていた妻の前でずっと気が付かないふりをしていた自分という、ここでも演じるということが言及されている。映画の終盤「ワーニャ伯父さん」公演本番の中で語られる、傷ついても辛いことがあっても「生きていきましょうよ」というまさにこの言葉を伝えるための映画なのだと思った。ソーニャを手話で演じた韓国の女優さんがとても良かった。