平成中村座十月歌舞伎 第二部から『唐茄子屋 不思議国之若旦那』

10/5 浅草仮設劇場で平成中村座『唐茄子屋  不思議国之若旦那』 作・演出:宮藤官九郎

平成中村座宮藤官九郎作の新作歌舞伎ということで、初日の舞台を観てきた。原作は落語「唐茄子屋政談」で、そこに不思議の国のアリスの世界が混ざってくるという内容だ。私は前進座が上演した「唐茄子屋」をこれまで何度か観ているけれど、観客の大多数は芝居になった「唐茄子屋」を観るのはおそらくこれが初めてだろうと思われる。物語全体の大きな流れが変わることはないけれど、クドカン提供のお楽しみがあちこちに散りばめられていて、まず幕開きに出演役者全員が舞台に乗っての賑やかなお祭りの場面から始まって、花道から登場した荒川良々の軽妙な語りが客席を一気に和ませ、これから楽しい芝居が始まるのだという期待にテンションが上がる。吉原遊びが過ぎて勘当された徳三郎(中村勘九郎)の甘ちゃんだけど憎めない可愛らしさ、徳三郎に額に汗して働くことの大切さを教えようと世話を焼く叔父さん(荒川良々)、行商に不慣れな徳三郎を見兼ねて手助けしてくれる大工の熊(中村獅童)などなど、登場人物はみんな不器用だけど裏表なくまっすぐ生きていて、たくさん笑って最後はホロリとさせる人情噺はやはり良い。因業大家(坂東彌十郎)や徳三郎を袖にする花魁(中村七之助)は悪役担当だけど、自分の欲に忠実なだけでそれはある意味人間らしい姿とも言えるし、どこかしら滑稽でもある。とにかく役者たちがこの作品を楽しんで演じている雰囲気が劇場中に拡がって、こちらも浮き浮きとした気持ちになる。不思議国のパートはあきらかに勘太郎・長三郎兄弟のために書かれていて「アリスが大きくなったり小さくなったりする」というところを徳三郎に置き換えて、小さくなった徳三郎として出てきた兄弟に観客は大喜びだ。不思議国とは、吉原大門ではなく吉原小門から繋がる“第二吉原”という設定で、ここへ徳三郎を案内するのが浅草田圃の蛙(市川亀蔵)だったり、不思議国は遊び心が満載だ(修行僧まわりの下ネタは少々やり過ぎだと思ったけども)。個人的には荒川良々がとても良かった。笑いを取る間や台詞回しの巧さ、怒鳴りつけながらも徳三郎のことが可愛くて仕方がない叔父さんをチャーミングに演じていて、初の歌舞伎出演ということらしいのだけど持ち味を十分に発揮しつつ作品世界に見事にはまっていると思った。今回ちょっと頑張って良い席を取ったのだけど、役者の細かい表情や息遣いも間近に感じられて、チケット代分しっかり舞台を堪能することができて大満足。宮藤版『唐茄子屋』とても楽しかった。

宮藤官九郎×中村勘九郎×中村七之助が語る「平成中村座」 “世の中を動かせない人たち”を主人公に、暗く重いテーマを笑い飛ばしたい - ステージナタリー 特集・インタビュー

 

ほりぶん『一度しか』

10/4 三鷹星のホールで、ほりぶん『一度しか』 作・演出:鎌田順也

今年2月にほりぶんの『かたとき』を観に行った時に、秋に「牛久沼8」を上演予定というチラシを見て、これは楽しみだなと思っていたのだけど、この新作に変更されたのはMITAKA“Next”Selectionに選ばれた事と関係しているのだろうか。ともあれ「牛久沼」はまたいつか上演される日を待つとして、今作とこれまで私が観たほりぶんの作品で重なるのは登場人物にバーミアンの店員がいることと霊能者がいるというところで、ワンピース姿の女優陣が今回バトルを繰り広げるのは東京都北区堀切にある古い団地という新設定になっていた。近所の商店が次々閉店していく中で八百屋さんの訪問販売を週一の楽しみにしている事とか、一人暮らしで友人もできずに亡くなったおばあちゃんとか、寂れていく街が抱える問題に薄らと触れつつ、自分を受け入れてほしいという願いとか、受け入れてあげなくては駄目かしらという思いとか、人と人が共存していくことへの目配せもある。といって暗いとか重たいとかは微塵もなく、いつもどおり女優陣のパワフルな絶叫と身体を張った演技を大いに楽しんだ。

モチロンプロデュース『阿修羅のごとく』

9/30 シアタートラムで『阿修羅のごとく』 作:向田邦子 脚色:倉持裕 演出:木野花

あの伝説のTVドラマをこのメンバーで舞台化、ということで仮チラシを見た瞬間から絶対に観に行きたいと思っていた公演。予想通りチケットはあっという間に完売で、もうこれは無理だなと諦めていたのだけど、本当に運よく当日券のキャンセル待ちでチケットを取ることができた。四方を客席に囲まれたセンターステージで、舞台上に置かれた大小のシンプルな箱ものがシーンによって机や椅子として使われる。真四角の舞台の各コーナーが4姉妹それぞれのテリトリーになっていて、私の席(南ブロック)から見て手前の下手が次女の巻子(小林聡美)、手前上手が四女の咲子(夏帆)、奥の下手が三女の滝子(安藤玉恵)、奥の上手が長女の綱子(小泉今日子)という感じだ。舞台中央は姉妹の実家や喫茶店、公園など個人のスペース以外の場所になる。舞台の周囲(客席とのあいだ)も街路として使われるのはちょっとNODA・MAPの「贋作 罪と罰」を思い出した。黒衣の格好をしたスタッフが転換を行なったりお囃子や柝が入ったりと歌舞伎的な要素があちこちに取り入れられている。上演時間は2時間、キャストは6人ということで、ドラマ版のどのシーンどの台詞を残すかはかなり話し合いを重ねたのだそうで、結果大幅なカットはありつつも単にダイジェストということではなくて「ああ、まさに“あの”阿修羅だ」と感じる舞台になっていた。不倫や浮気に対する目線や女性が担っていた役割など確かに昭和の価値観がベースになっている物語ではあるけれども、4姉妹の関係に絞って描いたことで女性の生き方を現代に問うものとして成功していると思った。誰かを簡単に型とかタイプに押し込めて判断しがちな世の中で、ひとりひとりの女性にはそれぞれの思いがあり願いがあり、枠からはみ出す部分ももちろん持っていて、私は私だ、一括りにされてたまるかという小気味よさが感じられて痛快だ。キャスト陣の好演は言わずもがなだけれども、小林聡美の巧さにはまさに舌を巻く思いで、本当に良い女優さんだなあとつくづく思った。安藤玉恵の滝子もとても良くて、岩井秀人とのやり取り(劇中のフラメンコシーンも含めて)の絶妙な間合いには感情が擽られっぱなしだった。そして綱子の不倫相手(貞治)と巻子の夫(鷹男)の二役を演じた山崎一、滝子の恋人(勝又)と咲子の恋人(陣内)の二役を演じた岩井秀人、2人の男優はその演じ分けに加えて怒涛の早変わりの連続を見事にこなす大活躍。隅から隅まで楽しめる舞台だった。観られて本当によかった。

『ガラスの動物園』

9/28 新国立劇場中劇場で『ガラスの動物園』 作:テネシー・ウィリアムズ 演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ

この戯曲は「追憶の劇」である。
舞台は不況時代のセントルイスの裏町。メインキャラクターはアマンダ、彼女の娘のローラ、息子のトムの 3 人。生活に疲れながらも昔の夢を追い、儚い幸せを夢見る母親アマンダは未だに自分のことを箱入りの南部婦人だと思っている。靴工場で働いて家族を養うトムの夢は詩人になることで、隙を見つけては映画に通う。彼の姉ローラは病的なほどに自意識過剰で、アパートから一歩も出ずに自身のコレクションである小さく繊細なガラス細工の動物たちを来る日も来る日も磨き続ける......。この家にはそれぞれに別の幸せな人生を夢見る 3 人の孤独な者たちが一緒に閉じ込められている。しかしそんな日々も、彼らの夢が叶うかに思えたある晩までのことだった。トムが夕食に招待した友人のジム・オコナーを、アマンダは「婿候補」と勘違いし、彼がローラにプロポーズする姿まで夢想してしまう。当然のごとく、彼女の計画は新たな、あるいは最後の幻想となる......。

パリの国立オデオン劇場制作で2020年3月に上演されたテネシー・ウィリアムズの代表作『ガラスの動物園』の日本初演。2020年の上演はコロナ禍の中、本国フランスでも公演5日目にして閉幕し来日も叶わず、21年秋に再度予定していた延期公演も感染症の影響による入国制限などによって再び中止。今年ようやく実現した来日公演の初日を観てきた。フランス語での上演で、舞台上方の左側に日本語、右側に英語の字幕が映される。イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出作品はNTLiveの上映で観ていたけれど(「橋からの眺め」「ヘッダ・ガブレール」「イヴの総て」)劇場で観るのは初めてだ。物語は一家が暮らす家の中だけで進められる。壁も床も赤褐色で岩肌に掘られた洞窟のように感じる室内。この美術からすでに何とも言えない閉塞感が漂ってくる。玄関に通じる短い階段が上手寄りに設けられてはいるけれど縦の動きは少なく、舞台を横長に使うのは以前観た「ヘッダ・ガブレール」と少し似ていると思った。「イヴの総て」のように映像を頻繁に使うことはなく、戯曲に忠実な会話劇という印象だ。トムが同性愛者なのだろうということは言葉で語られなくても伝わってくるけれど、今作ではトムとローラの間に近親相姦的な雰囲気が感じられる部分があり、この演出はちょっとドキッとした。俳優陣はもちろんすばらしかったけれども、イザベル・ユペールのアマンダは圧巻だった。華やかだった過去の思い出にしがみつく愚かさも、貧しい暮らしの現実や子供たちの行く末について目を逸らすことなく向き合ってきた強靭さも、時にはユーモアも交えながらアマンダの一喜一憂する心情をさらけ出す。その存在感にくぎ付けだった。

『スワンソング』

9/28 シネスイッチ銀座で『スワンソング

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現役生活を退き、老人ホームでひっそりと暮らすパットは思わぬ依頼を受ける。
かつてのパットの顧客で、街で一番の金持ちでもあったリタが「死化粧はパットに頼んでほしい」という遺言を残していたのだ。
ゲイとして生き、最愛のパートナーであるデビッドを早くにエイズで失っていたパットの心に、過去のさまざまな思い出が去来する。すっかり忘れていた仕事への情熱、友人でもあったリタへの複雑な思い、そして自身の過去と現在...。

ヘアメイクドレッサーとして活躍してきたパトリック・ピッツェンバーガー、通称“ミスター・パット”にとっての「スワンソング」は、わだかまりを残したまま亡くなってしまったリタを天国へと送り届ける仕事になるのか——。

監督のトッド・スティーブンスも、主演のウド・キアーもオープンリーゲイということで、当事者の目線で描かれたこの映画は、偏見や差別と闘ってきた先人たちへのリスペクトを強く感じるものだった。現在多くの国で同性婚が認められ、同性同士でも子供が持てるようになったのは、勇気をもって声を上げ続けてきた人たちがいたからこそ勝ち取れた権利であるということ。ウド・キアーの演技はすばらしく、パット(実在の人物がモデルだそうだ)と知り合いだった人々から直接その仕草や話し方を聞いて研究したのだそうで、誰に対してもフレンドリーで、毒舌にも憎めないユーモアが溢れていて、歳を重ねてもチャーミングなミスター・パットに好感を持たずにいられない。もう自分には何の価値もない、ただ死を待つだけだと考えていたパットだけど、いくつになっても新たな出会いや発見には人を変える力があり、自分の存在が誰かの背中を押すこともあるのだと伝えるやさしい映画。ただこの映画は人物の気持ちを代弁するような歌詞の曲が全編通してずっと使われているのだけど、私はこの音楽の使い方があまり好きではなくてちょっと古い感じがした。

劇団た組『ドードーが落下する』

9/27 KAAT神奈川芸術劇場大スタジオで劇団た組『ドードーが落下する』 作・演出:加藤拓也

「見えなかったら大丈夫と思ってたのに。実は価値が無いものは見えない方が世間はすごく良くなるんですよ。だから僕をそうしてもらったんですね、こいつに 」
イベント制作会社に勤める信也(藤原季節)と芸人の庄田(秋元龍太朗)は芸人仲間である夏目(平原テツ)からの電話に胸騒ぎを覚える。三年前、夏目は信也や友人達に飛び降りると電話をかけ、その後に失踪していた。しかしその二年後、再び信也に夏目から連絡がある。夏目は「とある事情」が原因で警察病院に入院していたそうで、その「とある事情」を説明する。それから信也達と夏目は再び集まるようになったものの、その「とある事情」は夏目と友人達の関係を変えてしまっていた。信也達と夏目との三年間を巡る青春失踪劇。

劇団た組の新作を最前列で観てきた。平原テツの演技に圧倒された。友人たちや嫁やバイト先の店長が発する言葉のいちいちに深く傷つき、自己嫌悪と承認欲求の狭間でのたうち回るその泣き笑いの表情が、夏目の苦しみを観客に突き付ける。売れない芸人の夏目をあからさまに見下していることを周りは隠しもせず、そんな年月が夏目の精神を少しずつ狂わせていった…という話だと思って観ていたのだけど(以下ネタバレ)上記のあらすじにある「とある事情」とは、夏目は統合失調症を患っていて10代の頃から投薬による治療を続けていたのだということ。夏目はテンション高めでちょっと変わっているけど面白い奴という見方が、病気というフィルターが掛かった途端に歪んでいくさまが時系列を前後しながら描かれていく。病名が知られたら周りから友人がいなくなるという過去の経験をもう二度と繰り返したくないという夏目と、病気を公表してそれを芸人としての売りにすることを提案する信也。思いはすれ違い2人は激しく言い争うのだけど、このシーンの夏目の哀しみは本当に胸に来るものがあった。言葉による暴力や障害を抱えたひとに対する視線、そして「もはやしずか」でも描かれていた、相手が何を考え何を感じているか本当に理解するなんて出来ないということ、善意のつもりの行ないが反対に相手を傷つけることもあるということに加えて、理解できないとしても寄り添い受け入れようとする姿勢が感じられるラストには少しだけ光が見えたような気がした。

『ブエノスアイレス』

9/20 ヒューマントラストシネマ有楽町で『ブエノスアイレス』(1997年)

映画の舞台は1995年。香港から南米アルゼンチンへやって来たウィン(レスリー・チャン)とファイ(トニー・レオン)。何度も喧嘩別れをしてはヨリを戻すことを繰り返してきた2人は今回の“やり直し”の旅の目的地にアルゼンチンを選び、観光名所「イグアスの滝」を目指して車を走らせるが、些細なことからまた痴話喧嘩をして別れ別れに。その後しばらくしてアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスで2人は再会。怪我をしたウィンをファイが看病しながら一緒に暮らすことになるが…。 

ウォン・カーウァイ監督の過去作から5作品を4Kレストアするという企画。ならば4K上映する映画館で観るべきなのだろうけれども、仕事の帰り道で行きやすい有楽町(2K上映)で『ブエノスアイレス』を観てきた。男同士の恋人たちの話だけど、傷つく事が分かっていても相手を愛する気持ちを抑えられない、どうしようもなく相手に惹かれてしまうという感情は、相手が同性とか異性とか全く関係なく、恋愛において誰もが共感し頷けるものだと思う。心情を説明する台詞を排して、愛し合うことの喜びも、嫉妬や独占欲に駆られる苦しさも、想いがすれ違っていく切なさも、2人の表情や佇まいがリアルに伝えてくる。レスリー・チャントニー・レオンも演技が巧みだし、自由奔放で小悪魔的なツンデレでファイを振り回すウィンも、ウィンの言動に腹を立てながらも彼が愛しくてつい世話を焼いてしまうファイも、とにかくすごく魅力的だ。なぜか私はこの映画の2人は20代だとずっと思い込んでいて、映画公開時(1997年)にレスリー・チャンは41歳、トニー・レオンは35歳だったと今回あらためて気づいたのだけど、それなりに年齢を重ねた2人の物語だったのだと思うと、互いに愛していながらも結局は一緒に居ることができなかった2人に対する哀しみがいや増した。

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