NTLive『メディア』

7/9 TOHOシネマズ日本橋でナショナル・シアター・ライブ『メディア』 原作:エウリピデス 脚色:ベン・パワー 演出:キャリー・クラックネル、ロス・マクギボン

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紀元前431年に初演されたというギリシア悲劇だけれど、観る者の心に強く響く内容を持った作品。上映前のインタビューで演出のキャリー・クラックネル(とても若い女性だったのでちょっと驚いた)が、この作品は「初めてフェミニストの立場で書かれたものなのか、女性を甘やかすとこうなるから男たち自戒せよと言っているのか」という話をしていて、併せて「古代の上演時には出演者は女性の役も含めて全員男性、観客も全員男性で、女性は観る事が叶わなかった」という話から考えると、書かれた時点では後者の女性蔑視的な態度の表れだったと見る方が合っているように思える。ともあれこの悲劇では夫に裏切られたメディアの心情を描くことに重点が置かれていて、本作の演出は男性支配による抑圧がメディアを追い詰めたという立場をとっている。狂気じみた愛情ゆえの執着、嫉妬、絶望、その果ての子殺しに至るメディアの嘆き苦しむ様を圧倒的な迫力で演じたヘレン・マックロリーが本当に素晴らしかった。コロスを演じる12人の女性たちのギクシャクとした動きのダンスや劇中で流れる不穏な音楽も、メディアの捻じれて歪んだ心を反映したものになっていたと思う。息を詰めてスクリーンに見入る90分だった。

『ゴジラvsコング』

7/6 TOHOシネマズ日比谷で『ゴジラvsコング』

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なんだか何にも考えないですむような映画が観たいなと思う日だったのでこちらを観てきた。怪獣映画には詳しくなく、日本のも海外のも含めてゴジラとかキングコングが出てくる映画を映画館で観ること自体が初めて。ゴジラとコングのバトルシーンがもう本当に圧巻の迫力で、実写かと思うような生きてそこに居るみたいなコングの存在感がすごい。予告編ではゴジラが悪玉でコングが善玉みたいな感じだったけど、本当の悪は人間だったという展開。人間パートのお話はなくてもいいから、ずっとバトルを観ていたい気分だった。

『逃げた女』『スーパーノヴァ』

6/29 ヒューマントラストシネマ有楽町で『逃げた女』

7/1 TOHOシネマズシャンテで『スーパーノヴァ

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『逃げた女』 夫の出張中に3人の女友だちと再会したガミ(キム・ミニ)。結婚して5年間、これまで夫とは一日も離れたことがないと話す。そういうガミは少しも幸せそうに見えない。女性同士で結婚や恋愛や仕事のことを話すけど、ガミの望みが何なのかは不透明だ。何気ない会話の積み重ねの中から、観客はガミの心情を想像する。私の前の席に座っていた男性は途中から爆睡していたけどまあつまらないと感じればそうなるだろう。登場する女性たちの心の動きを静かに追う映画で、その過程が私には退屈ではなかった。

スーパーノヴァ』 ピアニストのサム(コリン・ファース)と作家のタスカー(スタンリー・トゥッチ)は長年連れ添ったパートナー。さりげない2人の会話の行間から、数年前にタスカーが若年性認知症と診断されたこと、それ以来お互い言葉に出さないながらそれぞれ複雑な想いを抱えて暮らしてきたことが分かってくる。病状が悪化してサムの負担になることを恐れるタスカー。自分にタスカーの面倒を見続ける覚悟が持てるのか恐れるサム。難病と尊厳死というテーマはけっして目新しいものではないけれど、主演2人の繊細な演技がこの物語を特別なものにしている。特にタスカーを演じたスタンリー・トゥッチは私が知っている出演作の中では一番良かったと思う。本当にすばらしかった。この映画に状況を説明するような余計な台詞が一切ないのも好きだ。削ぎ落された言葉だけで成り立つ会話の余白から立ち上がる感情に思いを馳せ、交わされる視線、おたがいに触れる仕草、そんな小さな瞬間から2人が心から愛し合っていることを切々と感じる。そして物語の終盤でこれから先に望む結末がお互いに大きく異なった時、どちらの選択も苦しく辛く、観ていて胸が痛くなったけれど、2人が何を選択したかということも言葉にされることはない。サムがピアノを弾く後ろ姿と、大切に持ち歩いていた箱がテーブルに静かに置かれているのを見るタスカーの視線で、観客は映画の前半で描かれていたエピソードを思い返し、ああそうなのかと知るのだ。エンディングでサムが弾く曲もまた、タスカーが言っていた言葉に繋がり、タスカーの願いにサムが応えているのだと伝える。愛し愛されることについての美しくてビターな秀作だった。またこの映画では同性愛者を特別視するひとは誰一人出てこなくて、同性カップルをごくあたりまえの存在として描いているのだけど、ただ映画を観る方の側で今度は誰々が同性愛者を演じるということが話題になったりとかは依然としてあって、たとえば異性愛者の老夫婦が主人公の物語だったら宣伝の仕方とか観客の反応もまた違っただろうとか、そんなことも考えた。 

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『3年B組皆川先生~2.5時幻目~』

6/30 本多劇場で『3年B組皆川先生~2.5時幻目~』 作・演出:細川徹

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2.5次元俳優で、今は焼き鳥屋店長の皆川は、常連客の学校長に「生徒を無事に全員卒業させられたら、皆川の借金500万円を払ってもいい」と誘われ、問題児だらけの3年B組の担任教師になる。最初は全く言うことを聞かない生徒たちが次第に皆川を受け入れて、全員めでたく卒業するという学園モノのお約束通りの展開。とにかく客席を笑わせることだけに徹していて「観終わったあと心に何も残らない作品」という目的を完璧にクリアしている。皆川猿時の先生は素のひとの良さみたいなのがとても伝わってきて、荒川良々演じるモンスター生徒との息もぴったり合っている。村杉蝉之介のすっとぼけ感が良い。イケメン枠の近藤公園はほんとにちょっと驚くほどかっこよく見えた。ただただ笑って、ああ楽しかった面白かった以外に特に言うことはないけれど、劇中で客いじりが結構あるので、その日の客席のノリの良し悪しは影響するかもと思った。

 

コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』、ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』

5/1 コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』読了。

6/28 ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』全4巻読了。

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『地下鉄道』 時代は南北戦争の少し前、黒人の奴隷少女コーラを主人公にした物語。南部の奴隷州から北部の自由州へ、黒人を逃がすために実在した秘密組織の名前が「地下鉄道」で、隠れ家を駅、逃亡奴隷たちを積み荷と暗号で言い換えることで、追手の目を欺く工夫をしていたそうだ。やっと地上に線路が敷かれ始めたばかりで、地下にトンネルを掘る技術なんてない、そんな時代に「もしも本当に奴隷を逃がすための列車が地下を走っていたら…」という虚構の元に、この小説の逃亡奴隷たちは本物の地下鉄道に乗って自由への旅を続けていく。黒人に対する暴力や虐待の描写は読むのが辛くなって目を閉じたくなるけれど、農場から逃亡することを決意したコーラは無事に自由州にたどり着けるのか、執拗に追ってくる奴隷狩り人から逃げることができるのか、息をつかせぬ展開におしまいまで一気に読んだ。地下に本物の鉄道が走っているという大きな嘘以外は、非常にリアルに奴隷制度下で黒人たちが受けてきた苦難の歴史を描き、自由への強い想いと奴隷解放のために戦った人々の姿にもまた胸を打たれる小説だった。

『ミドルマーチ』 英国の作家メアリー・アン・エヴァンスが男性名ジョージ・エリオットペンネームで執筆した小説。19世紀初頭のイングランド、架空の街ミドルマーチを舞台に、住人たちのさまざまな人間模様が描かれるが、1巻目から登場人物たちの未来は決して平穏ではないだろうなと予感させる。この小説はドロシアという女性の生き方、人生の選択がひとつの柱になっていて、ドロシアの最初の結婚と夫との死別、その後の再婚までを大きな流れとして、そこに係わる多彩な人々の生き様が辛辣にまた時にはユーモアも感じさせる文章で綴られていく。作中で過去の悪事が暴かれたり保身の嘘が明るみに出る人たちも、そんな人間の持つ弱さや狡さは誰もが思い当たる部分を含み、ただ罪を糾弾するような形では描かれない。人間の行動・心理に対する作者の秀逸な洞察がそこここにあり、赤線を引いて何度も読み返したくなるような文章はもちろん翻訳された日本語で理解しているわけで、今回も翻訳家の方の仕事に大いに助けられながら読み進めた。女性の幸せ=結婚という時代に、それだけが人生のすべてではないこと、自分自身の望みを大切にして生きることの喜びを伝え、名もなき一人一人の人生がそれぞれ特別で代えがたいものであると伝える。 読後感は爽やかで、人間賛歌であり人生賛歌と感じるフィナーレだった。

『キネマの天地』

6/23 新国立劇場小劇場で『キネマの天地』 作:井上ひさし 演出:小川絵梨子

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昭和10年、築地の東京劇場に日本映画界を代表する4人の女優、田中小春(趣里)、滝沢菊江(鈴木杏)、徳川駒子(那須佐代子)、立花かず子(高橋惠子)が集まってくる。新作映画のための打ち合わせ、というのは口実で、監督の小倉寅吉郎(千葉哲也)は上演中の舞台で亡くなった妻・松井チエ子の死因を毒殺だと考え、その犯人探しのために4人を呼び出したのだ。チエ子の日記に残された「わたしはTKに殺される」という文字。真犯人はこの中の誰なのか。小倉は助監督の島田(章平)に動機を調べさせ、万年下積み役者の尾上竹之助(佐藤誓)を刑事役に雇って真相を探ろうとする、という推理劇。なのだけど一幕目では女優あるある風なバトルが4人の間で繰り広げられ、二幕目では殺しの疑いを掛けられてもなんのその、開き直って相手を言い負かしていく女優陣がとにかく小気味よくて痛快で、声を出して何度も笑った。4人ともめちゃ楽しそうに嬉々として演じていて、なかでも那須佐代子のコメディエンヌぶりは最高だった。そして犯人は実は…と意外な人物が明かされるのだけど、そこからの佐藤誓の一人語りがほんとうに素晴らしくて胸に迫って泣かされた。ああこれで幕になるのかと思いきや、さらにここから「そうきたか!」というどんでん返しのハッピーエンドが待っていた。ひとつの作品は大スターだけではなく沢山のひとの力が合わさって作られているのだということ。映画・演劇への熱い想いと愛に満ち溢れた、夢みたいに幸せで素敵な舞台だった。「蒲田行進曲」が流れるカーテンコール、キャスト全員に心から拍手した。

『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』

6/21 KAAT神奈川芸術劇場大スタジオで『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』 作・演出:岡田利規

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世阿弥によって確立された夢幻能とは、死者の霊や怨霊などこの世の者でないものが、名所旧跡などを訪れた旅人の前に現れて、その土地にまつわる伝説や身の上話を語るという様式の能のことだそうだ。この公演は「能の構造に則った音楽劇」と紹介されているけれど、能楽にまったく詳しくなくても心から堪能できるすばらしい舞台だったし、その構造を少しでも知っていればまた違う感じ方や発見がある作品だと思う。能では主役をシテと呼ぶのだそうで、「敦賀」では高速増殖炉もんじゅを、「挫波」では建築家のザハ・ハディドをシテとした2作品の上演である。下手に橋掛りに見立てた通路があり、正方形の舞台に白い照明が真上から静かにあたり暗転することはない。「敦賀」の上演では旅人を栗原類、途中で出てきて状況の説明とかをするアイと呼ばれる役割を片桐はいり廃炉が決定したもんじゅの精を石橋静河が演じる。「挫波」では旅人は太田信吾、アイは同じく片桐はいり森山未來が演じるのが新しい国立競技場の建築家に決定していたのに白紙撤回されたザハ・ハディドの霊だ。いや、精とか霊とか書いたけれども、両作品ともに謡手の七尾旅人によって語られるのは、夢と現実との乖離、失われた未来、無念と絶望、この責任は誰にあるのかという政治的な問いであり、シテの二人はそれらの想いをダンスという形をとって表しているのだ。生の音楽や歌から伝わってくる力もプラスされて、ピンと張り詰めた空気の中、舞台上で描かれる世界に息を詰めて見入った。幽霊は目に見えないけれど意識することで存在するものになる、ならば社会の中で生み出され取り残されてきた幽霊や怪物たちを忘れないために語り続けなければならない。岡田利規はこの能の形式を借りた作劇をこれからも続けていくそうなので、次回はどんな幽霊に会うことになるのか、それもまた楽しみだ。 

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