『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』

6/21 KAAT神奈川芸術劇場大スタジオで『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』 作・演出:岡田利規

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世阿弥によって確立された夢幻能とは、死者の霊や怨霊などこの世の者でないものが、名所旧跡などを訪れた旅人の前に現れて、その土地にまつわる伝説や身の上話を語るという様式の能のことだそうだ。この公演は「能の構造に則った音楽劇」と紹介されているけれど、能楽にまったく詳しくなくても心から堪能できるすばらしい舞台だったし、その構造を少しでも知っていればまた違う感じ方や発見がある作品だと思う。能では主役をシテと呼ぶのだそうで、「敦賀」では高速増殖炉もんじゅを、「挫波」では建築家のザハ・ハディドをシテとした2作品の上演である。下手に橋掛りに見立てた通路があり、正方形の舞台に白い照明が真上から静かにあたり暗転することはない。「敦賀」の上演では旅人を栗原類、途中で出てきて状況の説明とかをするアイと呼ばれる役割を片桐はいり廃炉が決定したもんじゅの精を石橋静河が演じる。「挫波」では旅人は太田信吾、アイは同じく片桐はいり森山未來が演じるのが新しい国立競技場の建築家に決定していたのに白紙撤回されたザハ・ハディドの霊だ。いや、精とか霊とか書いたけれども、両作品ともに謡手の七尾旅人によって語られるのは、夢と現実との乖離、失われた未来、無念と絶望、この責任は誰にあるのかという政治的な問いであり、シテの二人はそれらの想いをダンスという形をとって表しているのだ。生の音楽や歌から伝わってくる力もプラスされて、ピンと張り詰めた空気の中、舞台上で描かれる世界に息を詰めて見入った。幽霊は目に見えないけれど意識することで存在するものになる、ならば社会の中で生み出され取り残されてきた幽霊や怪物たちを忘れないために語り続けなければならない。岡田利規はこの能の形式を借りた作劇をこれからも続けていくそうなので、次回はどんな幽霊に会うことになるのか、それもまた楽しみだ。 

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