『ウエスト・サイド・ストーリー』

2/14  TOHOシネマズ日本橋で『ウエスト・サイド・ストーリー』f:id:izmysn:20220217162253j:plain井上ひさしが音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」で ♪もしもシェイクスピアがいなかったらバーンスタインは「ウエスト・サイド」をとても作曲できなかっただろう♪ と書いたとおり、1950年代のニューヨークを舞台に描かれた「ロミオとジュリエット」の世界。ブロードウェイで上演された舞台を映画化した1961年版の「ウエスト・サイド物語」を初めて観たのは後年テレビで放映されたもので、ベルナルドを演じたジョージ・チャキリスのダンスシーンの格好良さに子供ながらすごく惹かれた覚えがある。この映画が分断と対立から起こる悲劇を描いたものだと理解したのはもう少し歳を重ねて観てからで、そしてダンスはもちろんこのミュージカルの魅力は何と言ってもバーンスタインの音楽で、今回あらためてそのすばらしい曲の数々に胸を打たれた。

脚本トニー・クシュナー、監督スティーブン・スピルバーグで60年振りにリメイクされた今作、ストーリーの流れは1961年版と大きく変わるところはないのだけど、曲の順番やシーン、歌う人物が若干変更されている。前作では深夜の屋上で歌われた“America”はプエルトリコ系の住人が集う明るい昼間の街中で、リフが殺された後にジェッツのアイスが歌った“Cool”は決闘を止めようとトニーがリフを説得する場面で歌われる。そして一緒に街から逃げることを約束したトニーとマリアがデュエットした“Somewhere”は、バレンティーナ(前作のドクにあたる人物で、演じるのは前作でアニータ役のリタ・モレノ)がひとりで歌う。バレンティーナは白人男性と結婚したプエルトリコ人で、ヨーロッパ系のジェッツとプエルトリコ系のシャークスの対立に気を揉んでいる老女という設定だ。彼女の結婚を快く思わなかった人は白人にもプエルトリコ人にもきっとたくさんいて、蔑みの目で見られたり迫害を受けただろうことは想像に難くない。そんなバレンティーナが“Somewhere”を歌うことで、「どこかにきっと私たちの場所がある」という歌詞がトニーとマリアだけでなく社会にも家庭にも居場所がないと感じている人たち、いわれのない差別を受けている人たち、孤独な哀しみを抱えた人たちの願い・想いになり、今作でこのシーンが私は一番胸にきた。この映画が伝える「憎しみからは何も生まれない」という声は半世紀以上が経っても観客の心に響くものであり、まさに現代の問題として訴えかける強さがある。今回初めて「ウエスト・サイド」を観た若い人たちにも、この映画はきっと記憶に残る一本になったのではないかと思うし、私はこのリメイク版を心から楽しむことができた。

マリア役のレイチェル・ゼグラー、トニー役のアンセル・エルゴートを始め、オーディションで役を掴んだという若手のキャストたちは、みんなそれぞれの役をいきいきと演じていて、特にアニータを演じたアリアナ・デボースがとても良かった。映画の前半アンセル・エルゴートが193cmというデカい身体を持て余しているみたいというか、なんだか不安定でふわふわしていて、挙動も表情も中途半端な印象を受けたのだけど、途中からはこの思い切りの悪い感じが自分の人生を模索するトニーの迷う姿に重なって見えてあまり違和感を感じなくなった。エルゴートはバレエを習っていた事があるのだそうでダンスは無難にこなしていたし、喋る声は割と太くて低いのに歌うとハイトーンのきれいな声が出ていて特に“Maria”から“Tonight”を歌うところはよかった。

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