こまつ座『イヌの仇討』

11/8 紀伊國屋ホールで、こまつ座『イヌの仇討』 作:井上ひさし 演出:東憲司

時は元禄十五年(一七〇二)
十二月十五日の七ツ時分(午前四時頃)。
有明の月も凍る寒空を、裂帛の気合、不気味な悲鳴、そして刃に刃のぶつかる鋭い金属音が駆け抜ける。大石内蔵助以下赤穂の家来衆が、ついに吉良邸内に討ち入った。狙う仇はただ一人。
吉良上野介義央」
上野介は、家来、側室、御女中たちと御勝手台所の物置の中に逃げ込んでいた。赤穂の家来が邸内を二時間にわたって、三度も家探ししていた間、身を潜めていたというあの物置部屋で、彼らの心に何が起こったのか。
――討ち入りから三百二十年、歴史の死角の中で眠っていた物語は三度動き出す。

赤穂浪士の討ち入りを仇である吉良上野介の立場から描いた、大石内蔵助が登場しない「忠臣蔵」。自分がなぜ悪者扱いされなければならないのか全く理解できないという上野介が、物置に忍び込んでいたところを討ち入りに巻き込まれてしまった泥棒(原口健太郎が好演)の口を通して、世間がこの事件をどう受け止めているのかを知り、その背後には悪政に対する庶民の不満(生類憐れみの令の弊害、物価の高騰による貧窮を放置する幕府の無策)があることを知る。世論の代表である人物を設置して当事者と語らせるアイディアが秀逸。そしてなぜ大石内蔵助切腹を覚悟でこの討ち入りを決意したのか、その真意(幕府に対する異議申し立て)に上野介が徐々に気付いていく様をスリリングに追う展開から目が離せない。家来からも女中たちからも慕われる気のいいお殿様であった上野介が仇として憎まれる立場に追い込まれ、最後は自ら討たれることを決意する。時代に翻弄された犠牲者として上野介を描き、その姿を通して権力の横暴に対する批判を強く打ち出した作品だった。