オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』、ジョージ・オーウェル『一九八四年』

1/27『ドリアン・グレイの肖像』(光文社古典新訳文庫)読了。

2/11『一九八四年』〔新訳版〕(ハヤカワepi文庫)読了。

年末に部屋の隅に積みっぱなしの本の整理をしたのだけど、持っているとずっと思っていたのに見当たらず、それならばと新訳版を購入。海外の小説を読むときは(翻訳劇や洋画を観る時もそうだけど)日本語に訳されたものでその内容を理解しているので、翻訳によって受ける印象が変わるということはこれあり、新旧読み比べた小説はそう何冊もないけど、この2冊とも新鮮な気持ちで読むことができた。

『ドリアン・グレイの肖像』 完璧な美貌の持ち主ドリアン、二十歳の若さをいつまでも保つ彼の代わりに醜く年老いていく肖像画という設定にはやはり惹かれるし、ドリアンを巡る男たちの三角関係的な駆け引きも心がざわつく。私は未見だけど映像化や舞台化も何度かされているそうで、マシュー・ボーンがバレエ作品にもしているらしい。マシュー・ボーンは原作を大胆に翻案した「ロミオとジュリエット」が去年観てすごく良かったので、どんな「ドリアン・グレイ」になったのか非常に興味深い。機会があったらぜひ観てみたい。

『一九八四年』 最近観た演劇がどれも暴力や支配を劇中で扱う作品だったのだけど、1949年に発表されたこの小説が恐ろしいのは「一体どうしてわれわれは権力を欲するのか?」という問いに対してはっきりと答えていることだ。「権力を求めるのはひたすら権力のために他ならない。他人など、知ったことではない。(略)権力は手段ではない、目的なのだ。迫害の目的は迫害、拷問の目的は拷問、権力の目的は権力、それ以外に何がある」と。全体主義の恐怖、権力者の前には空っぽの器にされてしまった人間しか残らない哀しみ。そして新訳版には2003年にトマス・ピンチョンが書いた解説が付いていて、これは読む価値大ありだった。

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