文学座『マニラ瑞穂記』

9/14 文学座アトリエで『マニラ瑞穂記』 作:秋元松代 演出:松本祐子

松本祐子コメント

アジア初のオリンピック開催という祭りで日本が華やいでいた1964年に、この「マニラ瑞穂記」は書かれました。その舞台は1898年~99年の独立戦争が起きているフィリピン。日本がアジアに進出していくのだという思想を強く掲げたその時代、貧しさゆえに海を渡って生活をしていくしかなかった人たちがいました。からゆきさんと呼ばれた女たち、そしてそれを売り買いする男たち。フィリピンの独立を助けようという熱い思いの志士と、国家の代表である領事や軍人たちと貧しき者たちの衝突を描くことで、秋元松代さんは「人間とは何なのだ」と観るものに問いかけてきます。虐げられてもなお、捨てることのない根源的な人間としての尊厳を慈しむ作者の愛情と、それを損なう者への怒りに溢れた力強い作品です。

文学座アトリエは2016年に演劇研究所の卒業発表会を観に来た時以来で、記憶にあったよりもずっとこじんまりとした空間で、L字に組まれた客席と舞台がとても近く感じられた。劇団が発表の場所としてこうしたアトリエを持っているのは本当に強みだなと思う。秋元松代作品を観るのは「常陸海尊」「近松心中物語」に続いて3作目。この作品はフィリピンの独立を巡って対立する男たちの話でもあるけれど、それ以上にからゆきさんの女性たちの物語になっていたと思う。貧しい家族を養うために娼婦となって東南アジアに売られていった彼女たちが、女衒の秋岡(神野崇)が自分だけ足を洗うと言い出した時にぶつける激しい怒りには、戦争の時代に搾取され底辺に追いやられた女性たちの境遇に作者が向ける強い思いが感じられる。そして秋岡が反逆罪で米軍に逮捕されそうになった時、彼女たちが米軍兵の相手をするなら秋岡は無罪にするという条件を出され、即座に彼を助けることを選択する姿からは、どんなに身を落としても保身のために人を裏切ることはしないという誇り、泥の底でも顔を上げて生きていこうとする逞しさが沸々と伝わってくる。海外に渡ったからゆきさんたちがその後どうなったのかを示唆する存在が寺田路恵演じる老婆だ。領事館の領事である高崎(浅野雅博)に拾われた老婆は雑用をこなす日々を過ごしながらひとことも口を利かない。けれども日の丸をみると「君が代」を口ずさむ事からおそらく日本人なのだろうと高崎は言う。歳を重ねて客を取れなくなった娼婦は、召使や奴隷として金持ちに売られ、病気になったりすると家を追い出されたらしく、おそらく老婆はそうした女性の一人なのだ。劇中で台詞は一言もなく、背中を曲げよろよろと歩く老婆の生きてきた過酷な人生を、最後の最後その表情と視線で見事に観客に突き付けた寺田路恵の演技は非常に胸を打つものだった。