NTLive『プライマ・フェイシィ』

8/9 TOHOシネマズ日本橋で、ナショナル・シアター・ライブ『プライマ・フェイシィ』 作:スージー・ミラー 演出:ジャスティン・マーティン

youtu.be

“プライマ・フェイシィ“ = ※法律用語で「反証しないかぎり一応事実とされること」という意味

主人公のテッサは若くて優秀な法廷弁護士で、労働者階級から身を起こし、ひたすら戦い続けてトップクラスの弁護士になった。これまでにレイプ犯の弁護も何度か行ってきたテッサだけれど、自らが性的暴行の被害者になってしまった事で、彼女は法律と社会が抱える矛盾に直面することになる。男性優位の社会で作り上げられた法律の問題点に切り込むジョディ・カマーによる一人舞台。

幕開きにテッサの弁護士としての戦術、陪審員裁判での戦略などをしっかりと見せることで、自分が受けた性的暴行を訴えても裁判では「勝ち目がない」と弁護士である彼女自身が誰よりもよく分かっていることを観客も理解する。NTLiveの公式サイトに作家スージー・ミラーが寄せた言葉が背景をはっきりと説明している。

現在の法制度は男性中心の視点から作られています。女性は夫、兄弟、そして父親の所有物であるとみなされていた時代を背景に、何世代にも渡り、男性判事たちが判決を下し、何世代にも渡り、男性政治家たちが法律を制定してきました。そのため、性的暴行に対する法律が、女性の現実とフィットしないのです。(性的暴行罪の)無罪か有罪かは、加害者側である(一般的に)男性側が、合意の上での行為だと信じるに足る十分な理由があったかどうかに焦点が当てられ、判断されます。被害者である(一般的に)女性側は、常に厳しく詰問され、屈辱的な経験を追体験させられ、しまいには加害者とされる人物をおぞましい犯罪で告発した動機について被害者自身に思惑があるのではないかと疑いをかけられることもあります。しかし重要なのは、性的暴行事件では女性が証拠を見せても、信じてもらえないことです!しかも同じ女性にさえ。

それでも泣き寝入りはしないと決心したテッサは相手を告発し、裁判で争う選択をするのだけれど、テッサが受けた暴行の詳細が舞台上で再現されて非常に辛い。なぜこんな恐ろしい経験をしなければならないのか、押さえ付けられて身体の自由を奪われ抵抗できない恐怖、「嫌、やめて」と言っているのに相手へ届かない絶望感。裁判は相手の無罪で終わる。けれども「自分がレイプされたということと、相手は誰かということははっきり分かっている」「あの恐怖に縛られた時間の中でそれ以外の記憶は曖昧で証明することはできない」と語るテッサは、さらに性的暴行事件に関して現在の法制度は公平ではないことを裁判官や傍聴席の人々に訴える。法律という絶対のルールの中で生じている歪みに対して作家の思いを強く打ち出した作品であり、また舞台上映の前のインタビューで10代の若者たちに対して“性的合意”について考える授業を行っているという話があり、合意のないセックスは暴行だと知ること、互いに相手を尊重することを学ぶ試みは大切だと思った。