スペクタクルリーディング『バイオーム』

6/10 東京建物 Brillia HALLで、スペクタクルリーディング『バイオーム』 作:上田久美子 演出:一色隆司

わたしをけものと呼ぶのは誰か
わたしをにんげんと呼ぶのは誰か
それは事実か真実か虚構か嘘か、庭先に語られる一つも美しくない物語

その家の男の子はいつも夜の庭に抜け出し、大きなクロマツの下で待っていた。フクロウの声を聴くために……。男の子ルイ(中村勘九郎)の父(成河)に家族を顧みるいとまはなく、心のバランスを欠いた母(花總まり)は怪しげなセラピスト(安藤聖)に逃避して、息子の問題行動の奥深くにある何かには気づかない。政治家一族の家長としてルイを抑圧する祖父(野添義弘)、いわくありげな老家政婦(麻実れい)、その息子の庭師(古川雄大)、力を持つことに腐心する人間たちのさまざまな思惑がうずまく庭で、黒いクロマツの樹下に、ルイは聴く。悩み続ける人間たちの恐ろしい声と、それを見下ろす木々や鳥のもう一つの話し声を……。

youtu.be生

初の東京建物 Brillia HALL。直前に予約したので3階席最後列の一番左端の席しか取れなかったけど、朗読劇という枠を超えて感情を強く揺さぶられるすばらしい公演だった。ある家族の愛憎入り乱れる人間ドラマが、与えられた場所に根を張り淡々と長い年月を生きてきた植物たちの目を通して語られる。人類も地球や宇宙を形作る構成要素の一つに過ぎないという視点。壮大な歴史の流れの中で個々の人生の時間はきっと一瞬で、その瞬間にこそ宿る掛けがえのなさもあるのだということ。勘九郎さん以外の俳優陣は人間と植物の二役を演じて、一幕こそ台本を手に持っているけれど台詞が完璧に頭に入っていることは観ていてはっきり分かるので、台本を持つのはこの作品が朗読劇であるということを示すひとつの演出だと思った。手が塞がっていてはできない動きもある二幕では全員がほとんど台本を手放して演じ、それぞれ文句なしに心を打たれる好演だったけれども、特に麻実れいの深みと奥行きのある声と存在感に圧倒された。美しいプロジェクションマッピングと物語に寄り添う生演奏も作品世界を大きく拡げる力になっていると思った。