松竹ブロードウェイシネマ『ジャニス・ジョプリン』

7/21 東劇で松竹ブロードウェイシネマ『ジャニス・ジョプリン

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ジャニス・ジョプリンを演じたメアリー・ブリジット・デイヴィスのパフォーマンスが圧巻のすばらしさ。ただのモノマネではなくメアリー本人が非常に優れた魅力的な歌い手であり、このショーに観客を惹きつける大きな要素になっている。構成としてはジャニスが客席に向かって自分の人生を語っていく中で、これまでに影響を受けた黒人女性シンガーの曲を紹介していくのだけど、女性シンガーたちを演じるキャストがまずオリジナル曲通りに歌い、次にその曲をジャニスはこう歌ったと聞かせる演出がとても良いと思った。ジャニスの人生の影の部分についてはドラッグの問題があったと一言語る程度で深くは触れず、それよりもジャニス・ジョプリンという稀有な才能とその音楽を、観客も一緒に心から讃えようという思いに溢れた楽しい作品だった。

METライブビューイング ヴェルディ『椿姫』

7/21 東劇でMETライブビューイング「プレミアム・コレクション2021」からヴェルディ『椿姫』

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5月に上映予定だったものが緊急事態宣言で劇場が休館となり、今もまた宣言下ではあるけれど席数50%で営業中の東劇であらためての上映を観てきた。高級娼婦のヴィオレッタと純朴な若者アルフレードの悲恋。原題の「ラ・トラヴィアータ」は「道を踏み外した女」というような意味だそうで、ヴィオレッタの職業を指したものだ。アルフレードの父親に息子と別れるよう請われ、泣く泣く身を引いたヴィオレッタ。患っていた結核の病状が悪化して死の影が迫る中、もう一度アルフレードに会えることをひたすら願う。とてもロマンティックで哀しいお話だ。ヴィオレッタ役のディアナ・ダムラウは「オペラ界のメリル・ストリープ」とか呼ばれているそうで、表情の豊かさや視線で語る様子は良いけれど、やたらと口元に手を持っていく癖はちょっと邪魔に感じた。NTLiveもそうだけれどMETライブビューイングでも上映前や休憩時間の前後に出演者のインタビューや舞台裏の様子を見せてくれて、その中で今回とても良かったのは音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンとディアナの稽古シーンだ。「この“ラ”の音を大事にして」とか「その感情はこの“ミ”の音で表せるよね」とか、オーケストラの演奏にあわせて歌ですべてを表現するオペラは本当に一音一音が大切で、そこにありったけの気持ちを込めて作られているのだということが非常によく伝わってきて、初心者の私は感心しきりだった。

『君子無朋 ~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~』

7/19 東京芸術劇場シアターウエストで『君子無朋(くんしにともなし) ~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~』 作:阿部修英 演出:東憲司

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ドキュメンタリー番組の中国ロケの仕事でこの雍正帝のことを知り、いつか舞台化することを望んでいた佐々木蔵之介が、自らが主宰する演劇ユニットteam申(サル)の本公演とすることで実現したのが今回の上演なのだそうだ。

清の第5代皇帝である雍正帝はその13年間の在位中、執務室で毎日20時間働き、最期は過労死したという説が有力視されているのだという。中央のエリート官僚を無視して、広大な領土それぞれの地域を担当する223人の地方官たちと2万通にも及ぶ手紙のやり取りをして直接指示を出し、その手紙の内容はパワハラ全開の罵詈雑言と叱咤激励の嵐だったとか。

究極の独裁君主と言われた人物の謎と生きざまに迫るこの舞台で、雍正帝を演じた佐々木蔵之介がほんとうにすばらしかった。口跡の良さ、立て板に水の台詞回しの巧みさ、そこに絶妙のタイミングでふっと差し込む笑いの間。緩急も硬軟も自在に操って、聞く耳に心地よく響く。また前半のいかにも暴君然とした厳しさから、後半その裏側にあった顔が見えてくる辺りの表情や立ち居振る舞いの変化にも非常に説得力があり、その姿を追いながら心の中で何度も巧いなあと唸った。今だけではなく未来を見据え、国のため民のために自分は何を為すべきかを考え、常に現場の人間の声に耳を傾ける。あるべきリーダーの姿というものを考えさせられるような舞台だった。地方官の一人オルクを演じた中村蒼は最初台詞が先走って聞き取りにくく大丈夫かと案じたけれど、物語が進むにつれて雍正帝に正面からぶつかっていく若者の勢いと強い想いが伝わってきてよかったと思う。奥田達士、石原由宇、河内大和の3人は、宮廷の宦官になったり地方官になったり雍正帝の弟君たちになったりと何役もを演じ分けて、さらに舞台上で5枚の大きなパネルを動かす転換要員にもなる忙しさは大変そうだけれども目に楽しい活躍ぶりだった。

劇団チョコレートケーキ『一九一一年』

7/15 シアタートラムで劇団チョコレートケーキ『一九一一年』 脚本:古川健 演出:日澤雄介

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歴史的事実をもとにした骨太な創作劇の上演を続けている劇団チョコレートケーキ。今作で取り上げるのは大逆事件だ。1947年まで存在した刑法73条大逆罪とは、天皇、皇后、皇太子等に危害を加えた者または加えようと計画した者を死刑に処すとされた法律。皇室に対する犯罪を企んだ時点で罪となり、刑罰は必ず死刑。そして控訴なしの1審限りで刑が確定するという恐ろしい代物だ。

この作品では1911年(明治43年)1月に大逆罪によって12人が死刑執行された事件について、唯一の女性被告である管野須賀子の取り調べを担当した若い判事の目線を通して、社会主義者たちの逮捕から判決に至るまでに何が起きていたのか、その裁判の様子をつぶさに追っていく。私は今回が初見だったけど初演は10年前だそうで、それ以来の再演との事。この大逆事件の裁判ではそもそも大逆罪が適用できるかというところから拡大解釈し、本来は罪に問えない者たちを脅し騙すことで計画に係わったという自白を引き出し、最初から有罪=死刑判決ありきで仕組まれたものであったことが明らかにされていく。裁判の方針に大きな疑問を抱く予審判事、自分の死刑は当然だが他のひとたちは無実だと訴える須賀子、死刑判決を世間への見せしめとすることで権力を握り続けようとする元老、被告の無罪を勝ち取るためにひとり熱弁をふるう弁護士。今回も俳優陣の演技は本当にすばらしく見応えがあり、暗転なく切れ目のない場面転換はスピーディーで、これはこの先どうなるのかと引き込まれて目を離すことができない。権威や権力を否定して自由で平等な社会の実現を目指す革命がこれから必ず起こるという須賀子の死の間際の予言は実現することなく、このあと日本は長い戦争の時代に突き進み、ようやく1945年8月、敗戦という事実によって強制的に世の仕組みが変わることになるのだ。歴史を知ることから今を考えることの大切さを伝え、今回もまた深く心に残る舞台だった。

『反応工程』

7/14 新国立劇場小劇場で『反応工程』 作:宮本研 演出:千葉哲也

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新国立劇場のフルオーディション企画第2弾。昨年4月に上演予定だったものがコロナ禍で公演中止になり、1年以上を経て今回あらためての上演だ。1945年8月の軍需指定工場を舞台に動員学徒の若者たちの姿を描いた作品で、宮本研の実体験に基づいて書かれたものだという。幕が上がって作業場の黒板に書かれた日付は8月5日。明日広島に、そして9日には長崎に原爆が投下されること、10日後に戦争が終わることを観客は知っているけれども、劇中に生きる若者たちは日本の勝利を固く信じている。そんな中で仲間の一人に届いた赤紙、召集命令からの逃亡、禁書を持っていた事で受ける糾弾、戦況について大人たちの言葉に感じる嘘など、戦争が日常という時代の真っただ中にいるがための若者たちの言動は、そこでしか見えなかった景色を通すことで戦争の愚かしさ恐ろしさを照射していると感じた。若者たちはもちろん工場ではたらく古参の職工たちも、戦争の時代に翻弄された人々だ。物語の終盤で掲げられるプラカードに書かれた、戦争は二度とごめんだ、ひとが死ぬ、という言葉。客席の年齢層は高かったけれど、10代や20代のひとたちにも観てほしい作品だと思った。若いキャストたちが各々の役に精一杯ぶつかる好演で、ベテラン勢の安定感もとても良かった。

『物語なき、この世界。』

7/13 シアターコクーンで『物語なき、この世界。』 作・演出:三浦大輔

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人生はただ出来事の積み重ねで、そこに物語など存在しない。それは人間が出来事に理屈をつけて勝手に作り上げるものだ。作家が言いたいのはつまりそういうことで、登場人物たちは同じような内容の話を繰り返し何度も語る。例えば劇中にも出てくる展開だけど、ある人が自殺したとしてその確かな理由は誰にも分からない、けれど残されたものたちは何とか自分が納得できる理由をそこに見つけようとして、折り合いをつけるために物語を作り出す、というようなこと。また「もしこれが映画とかテレビドラマだったら」とか「人生の主役、脇役」とか芝居に絡めたような台詞も劇中で何度か出てくるのだけど、日常会話ではまず使うことがない「物語」という言葉を登場人物たちが事あるごとに口にすることで、この舞台で交わされる会話自体がものすごく嘘っぽくなるというか、いかにも作り物めくというか、キャスト陣は決して悪くないのだけど居心地の悪さが拭えなかった。そんな中で星田英利の芝居がとても良くて非常に胸を打たれた(ちなみに星田英利の台詞には「物語」は出てこない)。お酒で人生を誤ったタチの悪い酔っぱらいのおじさんが、別れた妻がやっているスナックで、もう一度やり直したい寄りを戻したいと訥々と語る、その姿からこの男の抱えている哀しみや孤独がわっと迫ってきてカラオケで歌う「まちがいさがし」にもグッときてしまった。あらためて良い役者だなあと思った。

JIM JARMUSCH Retrospective 2021『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ナイト・オン・ザ・プラネット』

7/5 UPLINK吉祥寺で『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(2013年)

7/7 ヒューマントラストシネマ有楽町で『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年)

7/7 UPLINK吉祥寺で『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年)

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ジム・ジャームッシュ監督・脚本作の中から12作品をピックアップして、都内のミニシアター4館で3作品ずつ上映する企画。ほんとうは制作年順に観たかったのだけど、仕事とバイトの合間でそう都合よくスケジュールを組むわけにいかず、まずはこの3作品を観てきた。

共通するのは耳に残る音楽の使い方と、車窓を流れる街角や景色を映すシーンが必ず入っていること。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』はニューヨークからクリーブランドそしてフロリダへ車で旅をする若者たちのロードムービーといえるし、『ナイト・オン・ザ・プラネット』は5つの都市を舞台にしてタクシー運転手と乗客のやり取りを描くオムニバス、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』では吸血鬼のアダムとイヴがデトロイトで深夜のドライブを楽しんでいる。どの作品でも映るのは落書きだらけの建物だったり荒れ果てた空き家だったり、観光用の景色ではないそこに実際にある街々から立ち上ってくる空気をそのまま切り取っているのが印象的だ。

印象的といえば、この3作の中で『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は未見だったので今回の上映で初めて観たのだけど、ティルダ・スウィントンはとても不思議な魅力を持った女優だと思う。作品によってすごくきれいに見える時とそうでもない時があるけど、この映画ではハッとするような美しさにあどけない可愛らしさが加わって、まさに人を超えた存在感で吸血鬼イヴを演じている。アダム役のトム・ヒドルストンはいつものチャーミングな笑顔を封印して、何世紀もひたすら愚行を繰り返している人間たちに絶望している憂鬱な悩める王子様で(アダムをハムレットに例える台詞がある)こちらは退廃美の極みみたいな感じだ。心から愛し合い惹かれ合っている2人。現代に生きる吸血鬼は人間を襲って血を吸うことはもうしない。人間の血がひどく汚れてしまって、悪い血を飲むことは命取りになるから。輸血用とか汚染されていない血液を手に入れることで血に対する飢えをしのいでいるのだけど、吸血鬼の命を脅かすのが人間の血だというのは皮肉な展開だ。アダムは歴史から何も学ばず同じ過ちを繰り返す人間を蔑んでいるのだけど、この数世紀、世界は良くなっていない、むしろ悪い方向に進んでいるのではないかと憂う警鐘の声がそこから聴こえた気がした。そしてそんな世界に最後に残るのは愛だけなのだという声も。

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